山田邦子 [懐かしの『THE MANZAI』]
川村中学校、川村高等学校卒業。1979年 川村短期大学に入学。落語家を目指して早稲田大学の寄席演芸研究会へ入部。しかし落語家に向いていないと悟り、漫談家への転向を決意した。
高校1年生の頃から西城秀樹の物真似で『TVジョッキー』に出演したのを手始めに、『クイズ・ドレミファドン!』や『昼のプレゼント』に出演。『タモリの突撃ナマ放送』では5週勝ち抜きするなど、数多くの素人参加番組に出演。素人時代はとんねるずとともに素人参加番組の常連で有名な存在だった。
会社員である父は芸能界に入ることを反対しており、芸能界に入るときに関口宏が懸命に父を説得し最終的に認められたという逸話がある。なお、芸能界デビュー前に関口が司会の『クイズ100人に聞きました』に家族で挑戦し、予選で敗退。関口とは『野々村病院物語』で共演している。
『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)火曜日のツービートが担当した人気コーナー「ブスコンテスト」に応募し、オーディションで目を付けられ、素人勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」に出場。ここで中学以来の持ちネタであるバスガイドのネタを披露しチャンピオンになった。
プロとなって太田プロダクションに所属。1981年にバスガイドネタの『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』でレコードデビュー。1981年の流行語「ぶりっ子」は山田がギャグに使ったことから、一般的な流行語になったといわれる。いわゆる漫才ブームに付随する形で巻き起こったお笑いブームの潮流に乗り、若手有望株として大きな注目を集める。「パイズリ」という言葉を発明したとも言っている
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